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車のカリキュラム / 第3講 メーカーの地図・日本編 / 図解①

日産の歴史 ・・・ 技術で先に出て、経営で揺れる

横=年代/縦=4つの流れ。技術のレーンが伸びている時期に、危機のレーンで何が起きていたか。縦に読むのがこの図の見どころです。
会社のできごと 危機と転換 世界へ 技術
1930s創業
1940s戦中戦後
1950s技術導入
1960s合併
1970s規制
1980s走りで世界一
1990s経営危機
2000s立て直し
2010sEVと混乱
2020s再建
会社のできごと組織・体制
1933自動車製造(株)設立翌年、日産自動車に
1935横浜工場で量産開始
1952オースチンと技術提携海外の技術を吸収
1966プリンス自動車と合併スカイラインが日産へ
1989インフィニティ設立北米向け高級ブランド
1999ルノーと資本提携再建へ
2016三菱自動車を傘下に
2024-25ホンダとの統合協議まとまらず終了 ⏳
危機と転換揺れた時期
1940s戦時下と戦後の混乱生産の中断
1953長期の労働争議
1970s排ガス規制とオイルショック
1990s経営が悪化販売不振と重い負債
1999大規模な再建計画工場閉鎖をともなう
2018経営陣をめぐる混乱会社が再び揺れる
2020s販売網と車種の見直し再建の途中 ⏳
世界へ輸出・ラリー・提携
1930sダットサンの輸出
1958豪州ラリーで実績日本車の耐久性を示す
1969フェアレディZ北米で大成功
1970s省燃費車で輸出拡大
1980s海外での現地生産英国・米国へ
1999国際的な連合の一員に
2010sEVで世界の先頭に累計販売を伸ばす
技術作ったもの
1931ダットサン小型車の原点
1959ブルーバード
1960セドリック
1966サニー大衆車の柱
1969スカイラインGT-R
1970s排ガス対策技術規制に対応
1989GT-R(R32)・Z32・シーマ名車が集中した年
1991セレナミニバンの柱に
2007GT-R(R35)世界に挑む一台
2010リーフ量産EVの先駆け
2016ノート e-POWER発電はエンジン、走るのはモーター
2022サクラ軽の電気自動車 ⏳

🏆 いちばん大きな転換

1966年のプリンス自動車との合併。スカイラインという名前と、それを作っていた技術者たちが加わりました。のちのGT-Rも、この合併がなければ生まれていません。

💡 ここだけ押さえる

1989年前後に名車が集中しているのは偶然ではありません。走りで世界一を目指す社内の方針があり、そこに開発費が集まったからです。いま中古で高いのは、この時期の車です。

⚠️ 影の部分も見る

技術のレーンが伸びている時期に、危機のレーンも動いています。車が良いことと会社が安定していることは別・・・日産はそれを何度も見せてきた会社です。

出典:日産自動車 公式企業サイト(沿革・企業情報)ほか。年月は代表値で、細部は公開後に確認します。 車のカリキュラム 図解① 日産 / © 2026 秋元進吾
この図解はA3横(420×297mm)の1枚ものです。スマホでは画面の幅に合わせて縮めて表示しています。「原寸で見る」で拡大、印刷とPDFはA3横のままです。