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車のカリキュラム / 第3講 メーカーの地図・日本編 / 図解①

ホンダの歴史 ・・・ 町工場から、空まで行った会社

横=年代/縦=4つの流れ。同じ列を縦に読むと、その時代に何が同時に起きていたかが見えます。
会社のできごと 危機と転換 世界へ 技術
1940s創業
1950s二輪で挑戦
1960s四輪参入
1970s規制に勝つ
1980s世界生産
1990sミニバン
2000s技術の拡張
2010s軽の王者
2020s電動化
会社のできごと組織・体制
1946本田技術研究所浜松で創業
1948本田技研工業 設立
1949藤沢武夫が参画技術と経営の二人組
1950s東京へ本社機能販売網を全国へ
1963四輪に参入T360とS500
1973創業者2人が引退若い世代へ引き継ぐ
1986アキュラ設立北米向け高級ブランド
2024-25日産との統合協議まとまらず終了 ⏳
危機と転換いちばん苦しかった時
1954資金難のさなかにマン島TT出場を宣言
1970s排ガス規制「不可能」と言われた基準
1973オイルショック小型車が求められる
1990sバブル崩壊後の低迷販売が伸び悩む
2008金融危機でF1撤退のち復帰
2020s電動化への巨額投資単独での負担が課題 ⏳
世界へレース・輸出・現地生産
1959アメリカ進出二輪の現地法人
1961マン島TT優勝宣言から7年で実現
1964F1参戦
1965F1初優勝メキシコGP
1972シビックが世界的ヒット
1982米国で四輪の現地生産日本メーカー初(オハイオ)
2015HondaJet 納入開始小型ジェット機
2021F1で王座供給チームがタイトル獲得
技術作ったもの
1947自転車用エンジンすべての出発点
1958スーパーカブのちに世界最多生産の二輪車へ
1967N360軽自動車のヒット作
1972CVCCとシビック後処理装置に頼らず規制をクリア
1981世界初のカーナビ地図を車に載せる発想
1989VTECよく回るエンジンの代名詞
1990NSX国産初の本格スーパーカー
1994オデッセイ会社を救ったミニバン
1999インサイト日本初の量産ハイブリッド
2000ASIMO二足歩行ロボット
2001フィットタンクを床下に置き室内を広く
2011N-BOX軽の常識を変える
2021高度な運転支援市販車で実現
2020se:HEVとEV電動化を進行中 ⏳

🏆 いちばん大きな転換

1972年のCVCCとシビック。世界中が「達成できない」と言った排ガス規制を技術で越えたことで、二輪の会社が自動車メーカーとして認められました。規制を敵ではなく機会に変えた例です。

💡 ここだけ押さえる

ホンダは、できない理由より先に手を動かす会社です。資金難のさなかに世界最高峰のレース出場を宣言し、7年で優勝した。その気質が、いまの車の"ここまでやるか"という工夫につながっています。

⚠️ 影の部分も見る

独立を保ってきたぶん、電動化への投資は重い負担です。2024年から2025年の統合協議は、その現実の表れでした。会社の体力は、長く乗る人にとって無関係な話ではありません。

出典:本田技研工業 公式企業サイト(沿革・企業情報)ほか。年月は代表値で、細部は公開後に確認します。 車のカリキュラム 図解① ホンダ / © 2026 秋元進吾
この図解はA3横(420×297mm)の1枚ものです。スマホでは画面の幅に合わせて縮めて表示しています。「原寸で見る」で拡大、印刷とPDFはA3横のままです。