朝、チャイムが鳴ります。
同じ年に生まれた子が、同じ教室に入って、同じ教科書を開いて、同じ時間に同じことを習う。
なぜこの形なんでしょうか。
わたしは、学校に通っていたころ、一度もその理由を聞いたことがありませんでした。聞こうとも思いませんでした。空気みたいに、最初からそこにあるものだったので。
でも学校も、仕組みです。仕組みには、誰かがそう設計した理由があります。
今日は、その理由をたどります。そして、この連載でまだ書いていなかった、いちばん大きな問いにも、ひとつ答えを置いておきます。なぜ学ぶのか、という問いです。
最初に、いちばん大きな勘違いから。
義務教育、という言葉があります。わたしは長いこと、これを「子どもは学校に行く義務がある」という意味だと思っていました。
違いました。
日本のいちばん大きなルールである憲法には、こう書いてあります。子どもには、教育を受ける権利がある。そして、その子を守っている大人には、教育を受けさせる義務がある。
義務は、子どもの側ではなく、大人の側にあります。そして、学校を建てて、先生を置いて、教科書を渡すのは、国とまちの側の仕事です。
公立の小学校と中学校で授業料がかからないのも、教科書が配られるのも、この「大人の側の義務」から来ています。お金の出どころは、税金です。第4回「その税金は、どこへ歩いていったのか」(別タブで開く)でたどった行き先の中に、学校のプールも給食のごはんも入っていました。
つまり、、、学校は、子どもに課された義務ではなく、子どものために用意されている権利のほうです。
この一行を知っているだけで、学校の見え方が少し変わります。行かされている場所ではなく、用意されている場所。同じ校舎でも、ぜんぜん違って見えます。
では、なぜ「同じ年齢・同じ教室・同じ教科・同じ時間割」なのか。
いまの学校の形のもとは、明治のはじめに作られました。当時の日本は、全国の子どもに、いっせいに読み書きと計算を渡さなければならなかった。人手も、先生も、建物も足りない中で。
そのときに選ばれたのが、この形です。同じ年に生まれた子をひとつの教室に集めて、決まった順番で、決まった内容を、いっせいに教える。
これは、いちばん多くの子に、いちばん早く、同じ土台を渡すための設計です。設計としては、とてもよくできています。
ただ、この形には、想定している子どもの姿があります。決まった速さで、決まった順番で、決まった形の説明で分かる子です。
そこから外れると、途端に苦しくなります。速すぎる子も、ゆっくりの子も、耳より目で分かる子も。
これは、その子の欠陥ではありません。その子と、学校の形との相性です。
第11講「これから何をどう学ぶか」(別タブで開く)で、学校の勉強と世の中の学びは、ルールの違う競技だ、と書きました。今日の話は、その競技のルールが、なぜそう決まったのか、という話です。ルールを知ると、自分がどこで引っかかっていたのかが、少し見えてきます。
学校には、テストがあります。成績があります。偏差値(へんさち・集団の中での位置を表す数字)というものもあります。
あの数字は、何を表しているのか。
答えは、位置です。同じ試験を受けた集団の中で、自分がどのあたりにいるか。それを表す道具です。
集団が変われば、同じ人でも数字は変わります。だから、あれは人の値段ではありません。その日、その集団の中での、位置の記録です。
入試も、仕組みで見ると、こうなります。席の数が決まっているから、選ぶ仕組みが必要になる。前回の第7回「その値段は、誰が決めているのか」(別タブで開く)で、買いたい人が多くて数が足りないと値段が上がる、という綱引きの話をしました。入試は、その綱引きを、お金ではなく点数でやっている場所です。
先生の話も、ひとつだけ。
先生は、この仕組みの中で働いている人です。先生の免許(教員免許・先生になるための資格)を持って、決められた時間割と教科書と評価の仕組みの中で、日々の授業をしています。先生も、この形を決めた人ではなく、決められた形の中で働いている人です。第6講「生徒に『先生はどう思いますか?』と聞かれたら」(別タブで開く)で先生に向けて書いたのは、そういうことでした。
ここまでが、学校という仕組みの話です。ここから先は、学校があってもなくても残る問いです。
なぜ学ぶのか。
学校では、この問いに答えてもらえないことが多いと思います。答える時間が、時間割にないからです。
わたしの答えは、この連載を書いてきて、はっきりしました。4つあります。
ひとつ。選べる数が増えるからです。
第14講「世の中の仕事は、こう分かれている」(別タブで開く)で、人は知っている仕事の中からしか選べない、と書きました。仕事だけではありません。住む場所も、お金の使い方も、困ったときの窓口も、知っているものの中からしか選べない。学ぶと、その数が増えます。
ふたつ。だまされにくくなるからです。
第3回「そのうまい話は、なぜあなたのところに来たのか」(別タブで開く)で、うまい話は台本を持ったプロが持ってくる、と書きました。仕組みを知っている人のところでは、台本が効きにくくなります。
みっつ。自分で確かめられるようになるからです。
税金の行き先も、物価の動きも、この連載では数字を書かずに、調べ方だけ渡してきました。調べ方を知っている人は、誰かのまとめを待たなくていい。
よっつ。自分の気持ちを、言葉にできるようになるからです。
第8講「うまく言えないのは、語彙が足りないからじゃない」(別タブで開く)で書いたことです。言葉が増えると、「なんかイヤ」の先が言えるようになる。これも、学ぶことのひとつです。
つまり、、、学ぶというのは、テストの点を上げることではなく、自分の頭で選べるようになることです。
学校の勉強は、そのための道具のひとつです。大事な道具です。でも、道具は、ひとつではありません。
最後に、学校の外の話を。
学ぶための仕組みは、学校の中だけにあるわけではありません。
通信で学べる高校があります。夜に通える中学があります。高校を卒業していなくても、試験に合格すれば卒業した人と同じ扱いになる制度があります。大人になってから大学に入る道があります。仕事に必要な技術を学ぶための公的な訓練もあります。そして、第4回の行き先の中にあった図書館は、誰でも無料で入れます。
学校の教室で学ぶことが難しい子のために、学校以外の場所での学びも大切にしよう、という考え方を書いた法律も、近年できています。
そして、学びに締め切りはありません。
わたしは、学校を出てから何十年もたったいまのほうが、たくさん勉強しています。学校で習ったことを使う場面より、学校を出てから学んだことを使う場面のほうが、いまは多い。
学ぶ場所も、学ぶ順番も、学ぶ速さも、大人になったら自分で選べます。学校で決まっていたのは、そのうちのひとつの形にすぎませんでした。
教育の中身をどうすべきか、学校をどう変えるべきか。これは、意見が分かれるところです。
親の立場、先生の立場、子どもの立場、どれも違います。この連載は、そこには立ち入りません。仕組みを説明するところまでがわたしの仕事で、どう考えるかは、あなたの主導権のほうにあります。
ただ、親御さんや先生に、ひとつだけ。
「うちの子は」「あの子は」と思ったとき、その前に一度だけ、この形は誰のために設計されたのか、を思い出してもらえたらと思います。学校の形との相性の問題は、その子の値段の問題ではありません。
いつもどおり、最後にひとつだけお願いをします。ひとつだけです。
そして、大人になった自分が、その教科で習ったことを使っている場面を、ひとつだけ想像してみてください。買い物でも、地図を読むときでも、誰かに説明するときでも。
もう学校を出た人は、逆です。学校で習ったことのうち、いまも使っているものを、ひとつだけ思い出してください。
それだけでいいです。今日はそれで十分です。
前回。値段と金利の話。
学ぶための道具の話は、こちら。
親御さんへ。子どもが進路の話をしてきたら。
先生へ。生徒に「先生はどう思いますか?」と聞かれたら。
仕事は、知っている中からしか選べない、という話。
連載の棚はこちら。
この回で育てる力:知性(副:関係性)
次回は、第1期の最後の回。税金の行き先と対になる、一票の行き先です。
この連載の土台:仕組みには、作った側の目的や意図があります。作られた側からは、それが見えにくい。だから、知らなかったのは、あなたのせいじゃない。習ってないだけです。
秋元進吾でした。