家にカレンダーがあれば、めくってみてください。
初詣。お盆。お彼岸。七五三。クリスマス。地域のお祭り。
日本で暮らしていると、年に何度も、宗教に由来する行事のそばを通ります。自分は信仰を持っていない、という人でも、たぶん通っています。
それなのに、その仕組みのほうは、ほとんど習いません。
先に、この回の立ち位置をはっきりさせておきます。今日は、何を信じるとよいかの話はしません。どの教えが正しいかの話も、まったくしません。書くのは、宗教が社会の中でどう置かれているか、という仕組みのほうだけです。
憲法には、信じることについての決まりがあります。中身は、大きく3つに分けて考えられています。
信じる自由。
信じない自由。
そして、強制されない自由。
3つ目が、いちばん忘れられがちです。誰かに信じることを強いられない、というのが、この決まりの大事なところだと説明されています。信じていたものを、やめる自由も、ここに含まれると説明されています。
つまり、、、信じるほうにも、信じないほうにも、どちらにも倒れていい、という形になっているんですね。
もうひとつ、対になっている決まりがあります。
政教分離(せいきょうぶんり・国と宗教を切り分けておくという決まり)です。
国が、特定の宗教を国の宗教にしたり、宗教の活動そのものを支えるために税金を使ったりしない、という形になっていると説明されています。
どこまでが宗教の活動そのものに当たるのかは、線の引き方が難しいところで、裁判で争われてきた例もあります。
これは、宗教を下に見るための決まりではありません。国がどれか一つを持ち上げてしまうと、それ以外を信じている人と、何も信じていない人の自由が細くなります。どれも特別扱いしないことで、全員ぶんの自由を守る、という設計だと説明されています。
第6回「その会社は、誰のお金で動いているのか」(別タブで開く)で、会社は名前のついた箱です、と書きました。人が入れ替わっても続いていく、法律の上の入れもの。
宗教の団体にも、同じ仕組みがあります。条件を満たして手続きをすると、宗教法人(しゅうきょうほうじん・法律の上で認められた、宗教団体の箱)になります。
ここが今日のタイトルのところです。
お寺も、神社も、教会も、その他の団体も、法律の上では同じ枠で扱われます。中で何を信じているかによって、箱の扱いが変わるわけではありません。国が中身に点数をつけない、というさっきの話が、ここでも効いています。
箱があるということは、お金の出入りがあるということでもあります。
お布施、献金、寄付。これらは、ものを買ったときの代金とは違う扱いをされています。
そして、宗教の活動そのものと、収益事業(しゅうえきじぎょう・物を売ったり、場所を貸したりといった商売としての事業)とでは、税の扱いが違う仕組みになっている、と説明されています。
どこからが収益事業なのか、税がどうかかるのかは、ここには書きません。細かい条件があり、見直されることもあります。知りたいときは「宗教法人 収益事業」で調べると、国税庁の説明が出てきます。
お守り、数珠、仏壇、お墓、祭壇、喪服、香典袋。
これらは、店で売られています。ということは、第13回「そのパンは、何人の手を通ってきたのか」(別タブで開く)で書いた道を通ってきています。作る人がいて、運ぶ人がいて、卸す人がいて、売る人がいる。それぞれに取り分が乗っています。
冠婚葬祭のサービスも同じです。式そのものは宗教の行事でも、会場、食事、送迎、記録は、商売として動いています。
これは、どちらかが不純だという話ではありません。宗教と商業は、別々の世界にあるのではなく、隣り合っている。そう見ておくと、値段の話と、信じることの話を、混ぜずに分けて考えられます。
誘われること自体は、悪いことではありません。人を誘うのも自由のうちです。ただし、断る自由が、こちらにあります。
その場で答えなくてもかまいません。持ち帰って、知っている人に話してから決めても、遅くはありません。急がせてくる話ほど、いったん止まったほうが、あとで困りません。
そういう話の見分け方は、第3回「そのうまい話は、なぜあなたのところに来たのか」(別タブで開く)に書きました。信じることに限らず、同じ形で使えます。
そして、困った誘われ方をしたとき、あるいは、うまく判断できない状態で契約をしてしまったときに、あとから取り消せる場合の決まりがあります。
条件はいろいろあるので、ここには書きません。困ったときの相談先としては「消費者ホットライン」という全国共通の窓口があります。名前だけでも、どこかに置いておいてください。
もうひとつ。家の中で、信じているものが人によって違うことがあります。それは、おかしなことではありません。第9回「その一票は、どこへ運ばれて、何に変わるのか」(別タブで開く)で、考えの違う人と暮らしていく話に触れました。ここも同じ形です。
宗教の話には、答えの出ていない論点がいくつも並んでいます。
どの教えが正しいのか。信じたほうがよいのか、信じないほうがよいのか。宗教と政治の距離を、どこに引くのか。団体の活動を、どこまで法律で扱うのか。
ここには、立ち入りません。この連載では、特定の宗教や団体の名前を出して、良い悪いを言うこともしません。
仕組みを説明するところまでが、わたしの仕事です。どう考えるかは、あなたの主導権のほうにあります。
いつもどおり、最後にひとつだけお願いをします。ひとつだけです。
見るだけでいいです。今日はそれで十分です。
わたしも、この記事を書きながら、カレンダーをめくってみました。めくるまでは、ただの予定表でした。めくったあとは、暮らしのあちこちに、思っていたより近く入り込んでいるんだな、と、ちょっとだけ見え方が変わってきます。
前回。国という箱の中身を開けました。
名前のついた箱、という考え方は、この回で書きました。
ものが手元に届くまでの道は、ここです。
断ってよい、の出発点は、この回です。
連載の棚はこちら。
この回で育てる力:知性(副:心)
次回は、国と国のあいだには、最後に決める人がいません。
この連載の土台:仕組みには、作った側の目的や意図があります。作られた側からは、それが見えにくい。だから、知らなかったのは、あなたのせいじゃない。習ってないだけです。
秋元進吾でした。
AIのサポートを受けながら、私のアイデアと考えを体系化した作品集です。